先日も書いたがブログ市長の件である。
今日は
みのもんたの朝ズバッ!で取り上げていた。
TBSも好きですねぇ〜よっぽど怨みに思ったのか徹底的に食い下がって単独
インタビューをしていました。
どのくらいの時間のインタビューか分かりませんが断片的に30秒ほど取材風景が流れていました。
その断片を繋ぎ合わせても・・・
意味がよく分かりません。
ナレーションで「市長は医療費がそういうことばかりに払われるのが納得いかない」みたいなことを言っていましたが・・・
??そんなこと、この話の流れでそういった会話になるか??
〈火に油報道?)
なんかよくわからないインタビューでした。
分かることといえば、「謝罪するつもりはあるんですか?」「謝罪するつもりはない。」ということだけ。
インタビューの仕方も編集し易いような・・恣意的なのか?下手糞である。
こういった報道の仕方ではまたお得意の放火報道のように感じてしまう。
障害者の人、阿久根議員〈反対派?)等がインタビューを受けていましたが不快を示す言葉ばかりです。 当然ではあります。 しかしこの人達はどういった経緯でなどわかって答えているのでしょうか?
女性のコメンテータの方が「デリカシーと作文能力が足りないが故の文章だったのでは? 何かを言いたい・訴えたいのであればもう少しみんなを納得できる文章を考えて書いてもらいたかった。」といっていたがまさにその通りである。(みのもんたはそんなんじゃないと言っていたが・・)
私も今まで皆と同じミーハーなのでこういった爽快市長には拍手喝采でしたが、今回は少し首傾げです。
もう一度ブログで詳しい内容・経緯を書いてもらいたいものです。
女性コメンテーターのあとに男性のコメンテーターが「公と私の区別が付いていない」と誰にでも言える三流コメントを発していた。
最近特に思うことだが「公と私の区別が付いていない」は何故いけないのかと思い始めた。 昔はこの言葉はあまり考えずに妥当だと思っていたのだが、この言葉と言うのは結局は国民に対して二枚舌ではないのか?
靖国においてもそうである。
腐れ自民が始めた言い逃れの「公と私」
私も文章能力無く簡単に書いてしまうが、公であろうとするものは、こういうことは良きに悪きに関わらず、自分の思っている精神を貫くものではないのでなかろうか? それを否定されても別に恥ではないのである。(行き過ぎた報道が問題であることは分かっているが・・) それをどうこう決めるのは国民なのである。
我々は「公と私の区別が付いていない」と言う言葉に簡単に納得するべきではないのである。 と思う。 どうだ?